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コインの製造方法

極印と貨幣製造


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極印は堅い金属を用い、そこへ図柄を陰刻した上でまだ固まらない貨幣用材を入れてハンマーでたたく方法が採られました。この最初のハンマー式貨幣製造はギリシア期に開始され、本当の手造りコインを仕上げていきました。


☜ ギリシア期の貨幣製造

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ギリシア期の製造方法はほぼ似たようなスタイルでローマ期にも踏襲されました。しかし貨幣製造の中心は、前者が中型銀貨クラスだったものが、後者では中型から大型の青銅貨や小型銀貨に変化していきました。そして貨幣の美しさといった面では、すでにこれらの時代にひとつのピークに到達しました。

ビザンツ期を通じての貧弱な貨幣は極印の彫刻技術の著しい低下が原因として挙げられると考えられます。ギリシア期やローマ期のコインに描かれた美しい肖像は無くなり、どの皇帝か全く区別のつかない拙劣なものに変わっていきました。
また12世紀前後のドイツの一部にみられたブラクティエート銀貨のように、極印が陽刻された片面しかないものに薄い貨幣平金を乗せ、ハンマーで一撃したコインすら登場しました。


☜ ローマ期の貨幣製造 

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ルネッサンス期を迎えると、極印を製作する彫刻師も一流の者が当るようになり、大型銀貨の登場とともに、コインの出来栄えも飛躍的に向上しました。
とりわけ神聖ローマ帝国のハル造幣所が先駆的な役割を果たし、また教皇領なども一流の彫刻師が見事な極印を彫り上げました。


☜ 神聖ローマ帝国ティロル大公領のハル造幣所における15世紀後期の貨幣製 

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☜ 神聖ローマ帝国  マリア・テレジア・ターレル銀貨の極印

機械製造方式のコインは、16世紀になって本格的になりました。これは有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが発明したもので、フランスにおいて実用化されました。また圧延方式で製造された『バルツェン・ターレル』が、神聖ローマ帝国で見られたのも、ほぼ同時期でした。

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英国はフランス経由で機械による製造方式がもたらされたものの、エリザベス一世の治世下ではまだ一部の貴金属コインに使用されただけでした。しかしハンマー方式も依然として捨てきれず、チャールズ二世の王政復古後にも存在しました。そして極印の彫刻が優れていたことから、英国コインの美しさは急速にクローズアップされました。
極印はより硬い金属が用いられ、これにより貨幣平金に刻印される正確さが増しました。当然として極印に圧力をかける動力の大きさが要求され、人力や馬車などを使った旧来のものが蒸気機関に代わりました。これにより、美しく刻印された、また大量に製造されたコインの時代が到来したのです。


☜ 中世の英国における人力を利用した貨幣製造

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しかしながら、同じ性能の機械を使用しながら、ロシアのように極めて出来栄えの劣るコインがあることは、貨幣製造における極印の重要性を物語っていると言えるでしょう。


☜ 1820年代のロシア セントペテルブルク造幣廠(ぞうへいしょう)蒸気機関を利用した当時最新の設備を誇りました。


1870年代のロシア セントペテルブルク造幣廠の貨幣製造工程


①蒸気機関

①蒸気機関

②素材の圧延

②素材の圧延

③素材から未加工貨幣の打抜き

③素材から未加工貨幣の打抜き

④縁に銘文を刻む

④縁に銘文を刻む

⑤極印をセットし製造する

⑤極印をセットし製造する

⑥完成したコインの数量をチェックする

⑥完成したコインの数量をチェックする



19世紀入ると、貨幣製造の技術は更に工場の一途を辿りました。ところが皮肉なことにこの世紀の中期における、『縮小機』の発明は、極印の彫刻技術を低下させる要因となりました。つまりそれまでの極印彫刻は、原寸で行われていましたが、それが拡大された原型で彫られるようになったことで、急速にコインの魅力を減少させてしまったのでした。

今日の貨幣製造は、デザインが決定すると、大きな石膏の原型が作られ、それが縮小機にかけられていくつもの極印が製造されます。これは毎分当りの製造速度が以前と比較にならないほど速いため、極印の消耗も格段に大きいためです。
そして製造される数量も極端に大きくなっています。こうして完成した極印はセットされ、十分にチェックされた貨幣平金が流れるようにここを通過し、1枚のコインとなるのです。